改訂版境界の理論と実務
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14 めて全国の土地を測量の上,収穫量を査定して地価を更正し,改正地券〈32〉を発行するという方針に転換した(93頁)。その実地測量作業においては,村役人が現地に赴き,「土地ノ所有ヲ定ムルニ当リ其最先ツ検セサルヘカラサル者ハ経界ナリ」との大方針〈33〉の下に,民有地と隣地との境界すなわち所有権界を所有者立会いの下で確認し,地番を付した上で,それを字又は村単位で集成した「一字限図」「一村限図」を作成し,県の改租担当官に提出する。改租担当官は自らも現地に赴き地押丈量と呼ばれる検査,確認を行う。その成果として字限図及び村図が作成された(手順の詳細は,122頁2)。これらは地租改正地引絵図(登記実務では一般に改租図,他に地租改正図・字切図・字限図・字図・野取絵図・地券図)と呼ばれ,村役場等に課税の基礎資料として備え付けられた(各図面の精度につき,131頁以下)〈34〉。 このようにして県の改租担当官によって民有地の所在が確認され,付番されて地券・地租台帳等に登載され,さらには地租改正地引絵図(改租図)等に地番の境として筆界が記入されることで,公法上の境界すなわち筆界(地番と地番との境。区画線)が形成されていった〈35〉。 この明治初期に近代的土地所有権の区画を示す地番境として原初的に形成第1編 境界の基礎知識〈32〉  明治5年発行の壬申地券に対する概念。壬申地券は,測量を行わないで発行するのを原則としていたが,すぐに改正地券にとって代わられることになる。この改正地券の発行を受けないと,未定地や隠田等として扱われ,民有地と認められないことすらあった(『里道・水路・海浜』1編2章3節5)。そのことからも,明治維新政府による筆界の形成は,近代的所有権の創設作業であって,単に旧幕藩体制下の「所持=支配進退の権利」(いわゆる所持権)の確認作業にとどまらなかったことがうかがわれよう。〈33〉  明治15年2月(日付なし)大蔵卿松方正義から太政大臣三条實美あて地租改正報告書第2款「地種」第1項「経界ノ更正」の冒頭の記述。〈34〉  各府県庁は,地租台帳・地図・野取絵図等,郡区役所は地券台帳・地租台帳,町村戸長役場は土地台帳・名寄帳・野取絵図等を各保管した。詳細は,福島正夫「旧登記法の制定とその意義」日本司法書士会連合会編『不動産登記制度の歴史と展望』(昭和61年)25頁。 なお,原始筆界の形成過程は,筆界判定の基礎知識として重要なので,後記(87頁以下)でやや詳しく述べる。〈35〉  このように税制改革を目的とした地租改正作業の中で筆界が作成されていったことは,筆界にとって不幸な生い立ちであった。徴税目的のためには,地目と地積こそ重要であったが,地価の低い土地の形状(筆界の位置)はさほど重要でなかったからである。

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