第4章1不足と考えやすい。「教師としてやれたこと」を全てやらなかった(やれなかった)ことを、自分たちの足りないところと考える傾向が見られる。意識の中で、教職員として(道義的に)自分がしてあげたかったことと、法的にやらなければならなかったこととの区別が曖昧なことが多い。そのため、法律でいうところのやらなければならなかったこと(例えば安全配慮義務)より広い法的責任を、教職員自らが認めてしまう傾向にある。その結果、ときには本来、負うべきでない過大な、あるいは本来、責任を負うべきでない人が法的責任を負っている例が見られる。 起きた出来事を振り返ってみて、やれることがあったというのは、いわば後講釈であり、再発防止に向けた今後の教訓として考えるべきことである。これに対し、法律上の義務違反は、その当時の状況・認識で、やるべきことをやっていたかどうかである。 当時(過去の時点で)やるべきことをやったかという観点からの法的責任の問題と、振り返ってみて自分たちのできることはなかったか(今後の再発防止に向けた反省)は、区別されなければならない。 法的責任というのは損害賠償(被害弁償、治療費や慰謝料の支払い義務)や刑事処分の対象になるようなことをしたかどうかの問題である。一方、道義的責任というのは、教師として胸を痛めているということであり、同じことが起きないようにと未来に向けた反省の契機である。 しかしそうはいっても、学校現場では、(いま振り返って考えて、当時)やれたことをやり尽くしていないと、自分たちに足りない点があった、落ち度があったという雰囲気での道義的責任の観点からの振り返りになってしまう。それがあくまで道義的責任の観点から今後のあり方を議論するのであればよいが、その前提を引きずって相手方との話し合いに突入した場合、法的責任の議論かのようになり、思いも学校における法律問題の現状と課題
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