旧版 はしがき v考慮」しなければならないが,当該非監護親の面会交流の申立てが子の利益に合致するか否かの審理判断に関しては,従来の審判例では申し立てる非監護親の側が面会交流の実施が「子の利益」に適うことが明らかにならなければならないとされてきた。判断基準はあくまで,双方の事情を総合的に比較考量することである。比較基準説といわれる。 これに対し,最近の家裁実務では,離婚後も親子の面会交流は維持されるのが子の利益に適うから,当該事案に,①子の連れ去り,②子への虐待,③DV等による子への悪影響等の3事由がない限り,原則として面会交流を実施すべきであり,間接強制も許されるとするいわゆる原則的実施論が台頭してきた。しかし,本書は,これまでの裁判例を分析した上,子の利益の確保のためにはこの原則的実施論は支持できないと結論付ける。 そこでの原則的実施論は,⑴面会交流は親子の実体的権利であること,⑵心理学的にみて面会交流を原則的に実施・強行することが子の利益に適うことを根拠とし,明白に子の利益に反する事情がある場合にのみ認められないとする。明白基準説である。しかし,⑴は民法改正や最高裁判例の趣旨にも反し,支持できる見解ではなく,また⑵はそのような心理学的知見はなく,国民の法意識にも反し経験則も存在しない,と本書は考える。 問題は,「子の利益」とは何かであるが,やはり本文(第4章1⑶参照)に示したように,⑴監護の安定性,⑵父性原理と母性原理の充足,⑶安定性と父性・母性原理の充足との調和の3要件の具備が必要であると解するのが本書の立場である。そして,この3要件を具備する方法で面会交流を実施するためには,原則的実施論のような明白基準説に従うのではなく,丁寧に比較基準説に則って審理判断する必要があるとするのが本書の立場である。 そして,面会交流において「子の利益」を確保するためには,欧米的な権利義務的観点からのみ検討するのではなく,心理学・社会学・精神医学・精神分析学・民俗学・宗教論・文化論等の知見を広く取り入れ,日本の子育て文化に適応した方法と形式でしかも当事者の納得の上で面会交流を実施する必要があるということである。それでは,「日本の子育て文化」とは何をいうのかであるが,これらの点「あとがき」で触れることにしよう。
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