Column BPOは、権利侵害に加えて放送倫理の問題も扱いますが、両者の判断基準は異なります。権利侵害は法律や判例が判断基準ですが、放送倫理は明確な判断基準がありません。放送倫理基本綱領や民放連の放送基準など、基準となる規程もありますが、抽象的に理念を定めたものも多く、明確な基準とまでは言えません。 判断基準が明確でないと、現場への萎縮効果が懸念されます。萎縮効果とは、判断基準が不明確なために、本来は許される表現なのに、許されない可能性を恐れて控えてしまうことです。判例のようにBPOの判断が今後も積み重ねられていくことで判断基準が明確になり、萎縮効果の懸念がなくなることが期待されます。 放送倫理に関するBPOの判断は、優等生的と感じることもあります。例えば、取材対象者への配慮が必要であることには異論がなくても、個別のケースでどこまで配慮すれば放送倫理に適うのかの判断は難しいです。そのようなケースで、後からBPOに「もっと配慮すべきだった」と言われれば、正論ですし、受け入れるしかありません。しかし、他方で裁判所は、表現の自由の重要性に配慮して、取材対象者による期待権の主張は限られた場合しか認めていませんし、取材後に企画趣旨が変わった場合の取材対象者への説明義務も否定しています(2-1参照)。このような状況で、放送倫理を根拠に、裁判所の基準を上回る義務をどこまで課すべきかについては議論もありそうです。 たしかにBPOは、裁判所と違って国家権力ではありませんし、放送倫理の高揚が組織の目的ですから、放送倫理にまで踏み込んだ判断を示す場合があるのは当然です。権力が介入する口実を与えないために放送倫理を厳しく求める姿勢を示す必要も理解できます。しかし、現場にとってBPOの決定は、今や判決と同じくらいの影響力があります。権利侵害に関する法律や裁判所の判断基準が、表現の自由に配慮して定められたものである場合、その基準を上回る義務を制作側に課す根拠として放送倫理を用いることには、より慎重であるべきではないかとも思われます。もちろん、制作側が自ら放送倫理に意識的であるべきことは当然です。432放送倫理違反は何を基準に判断される?
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