32 しかし、「生徒当事者説」は教員と生徒の間に現実に存在する対等でない「教育―被教育」の関係を無視しており、教育現場の実態には沿わない理念的な理解でもあります。また、義務教育段階である小中学校では公法上の権力的な関係も全く無視することはできず、小学生が「自らの意思に基づいて」学校を選択し、学校が提示する契約内容(学則等)を理解した上で入学していると考えるのは非現実的です(一方で、権力的な関係を観念する必要性に乏しく、契約を理解する能力が一般的に備わっている大学生に関しては、在学契約の当事者性を認めるほうが自然であり、最高裁も大学生に関しては在学契約の当事者性を認めています6)。 これに対し、保護者のみを当事者とする「保護者当事者説」によれば、今度は生徒固有の慰謝料請求権が認められなくなりますが、保護者だけでなく生徒自身も教員に対して固有の教育サービスを要求できることは当然であり、生徒と保護者の要求が異なることはしばしばあり得るため、生徒自身が固有の慰謝料請求権を主張する必要性があります。 したがって、在学契約の当事者は、生徒のみに当事者性を認めるべき特別の事情がない限り、生徒と保護者の双方を当事者とする「生徒・保護者当事者説」が妥当であると考えます7。この説によれば、裁判上も保護者固有の慰謝料請求権が発生するため、慰謝料請求権に関する①と②の違いは生じません。 次に、注意義務の内容とは、損害賠償が認められる要件である「過失」を構成する要素ですが、①の安全配慮義務違反となる「過失」と、②の不法行為上の「過失」を明確に区別することは難しく、実際の裁判では主張される法律論も具体的事実もほとんど同じことが多いです。しかし、①と②の注意義務は理論的には区別され、例えば「法令に基づいて当然に負うべきものとされる通常の注意義務」は安全配慮義務ではないとされています8。そうすると、教員の注意義務に関しても「法令に基づいて当然に負うべき」通常の注意義務の場合は、①の安全配慮義務違反ではなく②の不法行為責任を追及することになります。第1章 教育紛争の法的責任
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