7⑷ 判例法理の総括第2 従来の議論の整理──判例法理の意義,学説の批判,新たな胎動 12)ただ,引用部分の後段からは,「手続にかかわる機会を失う不利益」について,それが非訟事件であるから否定しているのか,そもそも反論の機会等が憲法32条の射程外の問題であるのか,必ずしも明確ではない叙述になっている。がない」として,同旨を確認する。12) 結局,半世紀以上を閲した判例法理は,まさに裁判を受ける機会が与えられていればそれで足り,公開原則を除いては,手続の内容に憲法上の規制はないという理解に受け取ることができる。しかし,後述の非訟事件に関する近時の動向からは,疑問が呈されるところであるし,そもそも本当に訴訟事件についても全く憲法上の規制はないのか,疑わしい部分もある。例えば,当事者に全く通知もせずに判決をしてしまっても,それが憲法32条に違反しないと考えられてきたか,言い換えればそれでも「裁判を受けた」と言えるのかという点は,必ずしも従来真剣に論じられていたわけではないように思われる。そして,この点についても,非訟事件における手続保障に関する平成20年決定の少数意見において,判例に変化の胎動が窺われるところである。 以上のように,判例法理は,当事者の権利義務の存否を確定する場面を純然たる訴訟事件として,それを憲法82条と32条で同じ意味内容のものと理解し,そのような事件のみが憲法的保障の対象になり得るとする。そして,そのような事件については,非公開手続により,あるいは,裁判所の判断を受けずに,それを確定してしまうことを認めることは憲法違反となり得ると論じる。 他方,そのような意味での訴訟事件でないものについては,一律に憲法上の保障は及ばないものと理解する。判例は,実体権を前提とした形成的裁判や合目的・裁量性のある裁判等を性質上の非訟事件と措呈するが,実質的な行政事件とか民事監督作用とか様々な理由付けを試みる判例法理の全体を見れば,それらは非訟事件の典型例を示すものであり,当事者の権利義務の存否を確定するもの(純然たる訴訟事件)でなければ,それは非訟事件と位置付けられているものとみられる。結局,一種の控除説的な非訟事件の位置づけがあり,「裁判所に来る全ての事件−純然たる訴訟事件=非訟事件」という定式で,判例法理は理解されるべきであろう。
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