8 いずれにしても,このような意味での非訟事件については一切憲法上の保障は及ばず,どのような手続によっても(あるいは裁判所の手続すら保障しなくても)憲法上は問題とならず,憲法違反となるのは,純然たる訴訟事件が非公開で審理される場合(憲法82条)又は裁判所で判断を受ける機会が奪われる場合(憲法32条)に限られる。また,憲法32条の内容としては,対審や攻撃防御の機会の保障は含まれていないと理解されるので,訴訟事件か非訟事件かを問わず,このような点が保障されていないことは憲法問題を生じさせないことになる。このような憲法32条の理解は,判例法理のもう一つのキーポイントと言えよう。2 学説の批判⑴ 事件の多様性─個別アプローチによる適切な手続の模索 以上のような判例法理による訴訟と非訟に関する憲法準則に対しては,学説上,肯定的な見解と否定的な見解が分かれる。代表的な肯定説として三ケ月説がある。三ケ月博士は,訴訟の非訟化現象は「歴史的必然」であり,それに対する積極的評価を述べられる。13)その内容は,判例準則による緩やかな規律=非訟化の広範な許容と整合的な方向性をもつものと思われる。すなわち,「現在,訴訟の非訟化といわれるものも,このような訴訟制度の歴史的脱皮の一つの現象形態にすぎぬとみるべきであるし,このような歴史的必然性がその背後に横たわる限り,われわれとしては,この傾向をかなり肯定的に受容することが必要であるというべきである」と評価される。14) これに対し,否定的見解としては,新堂説が一つの典型であろう。15)新堂教授は,判例の訴訟・非訟2分説を厳しく批判される。すなわち,「確認的裁第1章 訴訟と非訟13)三ケ月章「訴訟事件の非訟化とその限界」同『民事訴訟法研究 第5巻』(有斐閣,1972年)92頁以下参照。14)三ケ月・前掲注13)93頁参照。そして,裁判の公開や裁判を受ける権利という「憲法上の保障形式は,かなり古典的な裁判像に対応するところの保障形式というべきであり,(中略)これをあまりにも固定的に考えることは,大きな歴史的な流れに不当に棹さすことになるおそれがあるということを戒心しなければならぬ」と論じられる(同96頁)。そして「憲法上の要請も亦,定型的・外面的な保障から,個別的・実質的な保障へと進むべきものである」(同97頁)として,その問題関心において,新堂説など判例法理を否定的に捉える見解とも共通の面を有されていると見られることにも注意を要する。15)新堂幸司『新民事訴訟法〔第5版〕』(弘文堂,2011年)27頁以下参照。
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