日米親
30/48

が親の憲法上保護される権利を宣言した根拠判例とされるに至っている。Meyer判決は,人が婚姻し家庭を作り,親が子どもを養育する権利を憲法上保護される権利として位置づけた判例であるが,ここでもう一つ重要な17)ことは,McReynolds裁判官が,アメリカの国家の性質を語ったことである同裁判官はプラトンの『国家』を引用し,女性も子どもも社会に共有され,親は子どもを知らず,子どもも親を知らず,理想的な市民となるため,子どもは家庭ではなく社会全体で育てられるというスパルタ教育を例に取り,国家が子どもの所有者であるという観念は,現代アメリカの制度とは全く異18)なっている国ではなく親が子どもを育てることにより,民主的な子どもが育つという認19),親が自らの子どもを養育することの正当性を識を明らかにしたものであり確認したものである。ことを強調した。すなわちこれらの判例は,民主主義の社会では,では,これに対し,親の権限を規制する州の目的は何であろうか。親が子どもを自らの権限で自由に育てることは,州の利益にどのように反するのであろうか。現代では一般論となっている,「州が守るべきは子どもの利益」という原則が明確に示されるのはもうしばらく後になってからのことであり,この時代の州は,州の目指す市民を作るために家族を支配したがっていたとされる。アメリカ国内では,1923年までに31州が,公立,私立のすべての小学校で英語のみの教育しか認めない法律をもっていたが,それは第1次世界大戦中20)。戦時中であった当時,ドイツに反ドイツの偏見から広がったものであった17)Woodhouse, Who owns, supra note 1, at 998.18)Meyer, 262 U.S. at 401-402.19)米沢・前掲注8)229頁は,アメリカにおいて家族が保護される意義は,「家族は子どもの価値観,道徳観,文化観の形成にとって最も価値ある源」であるところにあり,家族を保護することが子どもの利益につながるとするアメリカの見解を紹介している。川田昇『親権と子の利益』50-51頁(信山社,2005年)は,親がなぜ子の養育者に選ばれるのかという親権の根拠について,親権は,法的な,あるいは社会的な職務として法によって与えられたものであり,子をどのように育てるか,何が子の利益か等々は,多様な価値観をもつそれぞれの親の判断に任せるべきとする。また,大村敦志教授は,親権は社会から信託された権利として義務を中心に構成されるようになっているとはいえ,それでも親権者が自由に行動しうる領域(国家がただちには介入できない領域)が残存していると述べ,その意味では,「子を親に委ねることが,良い結果をもたらす(ことが多い)と信じている社会なのであろう」と指摘している。大村敦志『民法読解親族編』251頁(有斐閣,2015年)。10。⑶ 州の利益

元のページ  ../index.html#30

このブックを見る