刑事弁護に携わる中で,特定の行為を病的に繰り返してしまう方と出会うことは少なくありません。我々の依頼者は,自分のしている行為が悪いことだとわかっています。その行為をすれば,社会的・経済的な不利益が生じることも,経験して十分にわかっています。その行為を繰り返すことによって,意に反して,大切な仕事や社会的な信用を失ったり,家族を苦しめたり,盗んだ金額の100倍以上の罰金を何度も支払ったりしています。我々の依頼者の多くは,その行為をやめたいと思っています。しかし,その行為への衝動を抑えることができず,同じ行為を繰り返しては,再び刑事手続に戻ってきてしまいます。最終的には,実刑判決を受けて,刑務所に入る方も決して少なくありません。それどころか,法律の規定により,次に犯罪をしたら絶対に実刑判決になることがわかっているのに,行為をやめられず,刑務所との行き来を繰り返している方さえいます。検察官は,ただただ我々の依頼者を起訴し,裁判官は,ただただ我々の依頼者に実刑判決を下すだけです。 刑事裁判において,我々の依頼者の行為は,「常習的で悪質である」「規範意識が鈍麻している」等という評価を受けているケースがほとんどです。繰り返された行為の外形だけをみれば,そのような評価を受けることも,やむを得ないことのようにも思えます。 しかし,弁護士として,特定の性犯罪や万引き「だけ」を何度も繰り返してしまう方の弁護を担当する中で,特定行為への病的依存の実態を目の当たりにしたとき,本人の意思の弱さだけは説明できない問題があるとしか思えないものが多数ありました。そこには,行為依存から抜け出せずに苦しんでいる本人と,本人の行為を止められずに苦悩している家族の存在があります。行為依存の問題に苦しむ方の弁護を担当する中で,特定の行為だけを病的に繰り返してしまう方の行為に対して,「常習的で悪質である」「規範意識が鈍麻している」という形式的な言葉で片付けてしまってよいのかという問題意識を持つようになりました。 本書は,行為依存の中でも,特に刑事事件となることの多い,性依存と窃盗症の2つの問題に焦点を当てて,行為依存の問題を抱える方の弁護活動,治療的アプローチについて考察しようという試みです。はしがき iは し が き
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