〜33 全部改正─昭和22(1947)年(法律222号)4 その後の主な改正第1章 総則 総則882条885条来すると考えられる。 その後,約50年間にわたって家督相続制度は適用されたことになるが,日本社会において,その影響は甚大であったといえよう。すなわち,家制度とその具体的な表現である家督相続制度は,長男意識(長男だから,家を守らなければならない,親元に戻らなければならないとか,父母と同居して面倒を見なければならない,遺産を多く相続できるはずである等)を醸成し,それを日本国中に伝播させ,多様であった各地の慣習を駆逐したのである。 現在の遺産分割協議・調停でも,長男が,長男であることを理由に,他の弟姉妹より多くの相続分を主張するような事案は珍しくないのである。 第二次大戦の敗北,その結果としての日本国憲法の制定によって,封建的,団体的(=非個人的),男女差別的であった民法第5編相続は,まさに180度の転換を迫られることになった。すなわち,身分の相続であった家督相続制度を廃止し,財産の相続である遺産相続制度のみを相続制度とした(896条)。長男子の優遇も廃止し,子は年齢・性別等にかかわりなく平等(ただし,嫡出子と嫡出でない子の間の不平等は維持された)とし(平成25年改正前900条4号ただし書前段。後述4⑸参照),また,配偶者を常に相続人とし(890条),さらに,相続放棄の自由を認めた(915条1項)。もっとも,この改正では,憲法に抵触する条項を専ら削除することに注力せざるを得ず,新しい制度の導入や既存の制度の精緻化などは,ほとんど行うことができなかった(我妻・戦後は,本改正の最重要文献である)。 なお,民法の改正が日本国憲法の施行(昭和22年5月3日)に間に合わなかったため,憲法に違反する旧民法の条項の停止等を行うために,「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律74号)」が制定された。同法は新民法の施行(昭和23年1月1日)と同時に失効した。 民法・相続法は,戦後改正後,それなりの頻度で改正されてきた。以下,それぞれの時期の改正の概要を描写する。詳細については各条の解説を参照されたい。⑴ 昭和37(1962)年改正(法律40号) 昭和29年の洞爺丸事故,昭和34年の伊勢湾台風を受けて,失踪宣告制度の改正が課題となった。そして,特別失踪の期間を1年に短縮するととも
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