〔5〕〔6〕第1章 釈明権・釈明義務と当事者の法的審問請求権 9度でなく積極的活動を一定範囲において要求する。 当事者の申立てや陳述が明瞭さを欠き,明らかに不十分,不適切であり,または矛盾したりすることがある。当事者が証拠申出を不注意または誤解により全く行わず,あるいは外形上証拠申出が不備と認められる場合もある。このような場合に当事者に申立て,陳述の補正・訂正,または証拠の申出を促さないで判決をするならば,十分審理を尽くさないままに不完全な訴訟資料に基づき裁判がなされることは明らかである。そして,このような裁判が当事者によって受容されることは困難である。当事者の不手際や不注意から当事者を保護し,裁判の受容可能性を高めるために,裁判所による釈明権の行使が必要である。当事者に不注意や過失がある場合には,裁判所は釈明義務を負わないという見解は,釈明制度の本質と相容れない。他方ではもちろん,裁判所は処分権主義・弁論主義が妥当することに鑑みてその活動の限界を明確に意識しなければならず,客観性と当事者の自由な訴訟追行の利益のために,裁判所には一定の自制が必要である。ドイツ法についてLeipoldが説くように,「正しい中道(der richtige Mittelweg)を見出し,当事者を後見することなく当事者を助けることは,裁判官の技量の良き部分である」5)という指摘は,日本法にもそのまま当てはまる。このことは裁判所の後見的役割を強調する釈明論に反省を求める契機となる。6) 裁判所の釈明は,当事者の法的審問請求権の具体化,公正な手続の実施および実体的に正しい訴訟結果の獲得に仕える。釈明は,重要でない事項を争いから除き,訴訟を重要な係争問題に集中させることにより,訴訟の促進を実現することができる。また,当事者に対する裁判所の配慮によっための裁判所の協力であり,実体関係の解明は証拠調べに留保されているので,釈明は請求の当否を決することを目的とするものでも,裁判所による実体形成でもない。5)Stein/Jonas/Leipold, 22. Aufl., vor §128 Rn.187.6)日本では有力説によって,裁判所の釈明は事案の解明のための裁判所の後見的協力であると説明され(たとえば,兼子一「民事訴訟の出発点に立返って」同・民事法研究⑴〔1950年・酒井書店〕477頁,492頁;同・体系202頁;三ケ月・全集162頁,実務も裁判所の後見的役割を口にするが(たとえば,加藤新太郎「民事訴訟における釈明」同編・民事訴訟審理236頁),裁判所には中立義務があり,当事者の後見人になってはならないことが忘れられてはならない。⑵ 民訴法149条の規範目的
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