フ家事
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4第二次世界大戦中に日本は東南アジアに侵攻し、1942年から敗戦までフィリピンを占領しましたが、親米的だった現地の人々からの支持は得られませんでした。1947年の独立後は、政治的にも経済的にも米国寄りの路線がとられましたが、1960年代から1990年代にかけてマルコス大統領の独裁政権や政情不安から経済成長が伸び悩み、外国で就労するフィリピン人(OFW, Overseas Filipino Workers)が本国の親族に送金する外貨獲得を重視して、フィリピン政府は移民労働者保護法制を整備してきました。日本でも1980年代から単身で、「興行」の在留資格で在留し、エンターテイナーとして働いたり、飲食店で働く形で出稼ぎに来るフィリピン人女性達が急増しました。この在留資格では、長期の在留は認められなかったので、在留期スペインの統治期間中は、町の中心にカトリック・キリスト教の教会が置かれ、町は行政(世俗)と宗教の双方の単位とされていました。カトリック・キリスト教の暦が用いられたため、住民の出生から死亡までの日常はキリスト教の宗教的な祭祀と密接不可分になり、キリスト教は土着の信仰と融合して大衆化しました。他方で、カトリック・キリスト教の教会や聖職者の権威が維持され、ラテン語やスペイン語を学び高等教育を受けた知識人階層を生み出すことになりました。このため、現在でも、教会の文書の内容や聖職者の社会情勢に関する見解が、ミサやさまざまなメディア媒体を通じて発信され、フィリピン社会に大きな影響力を与えています。フィリピンの人口の約8割がローマ・カトリック教徒、約9%がその他のキリスト教徒で、その教義の影響から、例えば離婚や人工妊娠中絶を忌避すべきだと考える保守層が多いといわれています。日本には約50万人の日本人カトリック信徒がおり、外国人カトリック教徒も、ほぼ同数といわれていますが、ブラジル及びペルー人と並んで、フィリピン人の大多数もローマ・カトリック教徒であると推察されます。カトリック中央協議会の資料でも、在留外国人カトリック信徒の人数は明らかではないものの、日本にいる司祭約1,200人のうち半数近くが外国人司祭で、16の教区のほとんどで定期外国語ミサを開催し、タガログ語で開催する教会もあります。column1フィリピンにおけるカトリック・キリスト教の影響

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