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4第1章 ケースワーカーのおかれた状況と「支援困難事例」3) 黒木利克「福祉事務所設置の苦労話」生活と福祉7号19頁4) 社会局庶務課「昭和27年9月1日現在福祉事務所における職員設置状況」寺脇隆夫編集・解説庄司拓也解説『福祉行政基本資料第4巻〈資料集 戦後日本の社会福祉制度Ⅲ〉』(柏書房,2013)456~467頁5) 「座談会 尾崎保護課長をかこんで」生活と福祉15号6~11,14頁所の設置に反対するという状況でした。そこで,各方面に働きかけた結果「大臣もようやく折れてネ。その代り行政整理の最中だから社会福祉主事の数を法律で決めた二割引とすると云うことで妥協して,やっとスタートすることができた」3)と述べています。 つまり,福祉事務所が設置されていた当初からケースワーカーの配置は厚生大臣自らが意図的に法を守らずに実施されたのです。 このことは,1952年のケースワーカーの配置状況4)をみると分かります。このときは,郡部福祉事務所は全国で473か所ありましたが,ケースワーカーの中央の基準に対する充足比(法定数の割合)は全国平均で82.1%でした。市部福祉事務所は全国では340か所あり充足比の全国平均は103.9%となっています。しかし,市部でも都市部での充足率は低く,当時の五大都市(横浜,名古屋,大阪,京都,神戸)の平均充足率は88%であり,神戸市に至っては63%という状況でした。1957年の厚生省社会局保護課長と各県の保護課係長等の対談では「以前は一人のケースワーカーが百四,五十ケイス少なくとも百ケイスくらいを持っているのが当たり前で,これでは適正な保護をすることはとても無理」,「実施体制の問題ですが,私たちが痛感するのは,ケースワーカーの数と,人の問題です。この問題には費用がからみますが,福祉事務所における事務職員が少ないので,ケイス担当員が庶務職員のやるようなことをやらなければならない」,「要領のいい県になるとケースワーカーの充足率は85パーセントでも事務職員がいない。このためケースワーカーが事務をやっています」5)等と語られています。 この座談会からも,福祉事務所制定直後からケースワーカーの法定数が守られておらず,社会福祉事業法で規定されている「事務を行う職員」の配置も不十分であり,ケースワーカーが事務職員の庶務等の業務を担わざるを得

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