2_未来
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あとがき6531回、三木先生を代表として早稲田大学で、1994年から5月から1997年3月までは、会場を明治大学に移して開催されてきた。同年4月からふたたび早稲田大学が開催を引き受けることになったが、その際、棚村君が三木先生から研究会の運営を任され、今日まで25年以上にわたって、その任に当たってきている。この研究会では、報告者の選定が大事であるところ、近時若手の家族法研究者が減ってきている中でその大変さは増してきている。その中でも毎月1回の開催を続けられてきたのは、棚村君の広い人脈と一方ならぬ努力によるものと敬服せざるを得ない。聞くところでは、棚村君が退職された後は、これまで棚村君を支えてきた若手研究者数人が中心となってこの研究会を継続してゆくことになったとのことである。これからの一層の発展を祈りたい。 1997年3月に2年間のドイツ留学を終えて帰国した私は、早々に三木先生から、「日本家族〈社会と法〉学会」の理事を引きうけるようにと告げられた。2010年には理事長を引き受けることとなったが、このときも棚村君に事務局長を引き受けてもらうのが条件だった。棚村君は前任の野村豊弘理事長(学習院大学名誉教授)のときに引き続いてであり気の毒であったが、私もちょうど学術院長職にあり、東北大地震などもあって疲労困憊の状態だったので、大いに助かった。しかし一方で、2011年の鹿児島大学での学術大会の折には、開催校の緒方直人先生や愛媛大(現西南学院大)の宮崎幹朗先生と4人で夜中過ぎまで薩摩焼酎を痛飲するなど楽しい思い出もあったし、2012年に早稲田大学で開催された学術大会も、事務一切を取り仕切ってくれた棚村研究室出身の北田真理さん(杏林大学准教授)のお力もあって、無事済ませることができた。 その北田さんから、記念論文集の「あとがき」を書いてくれとの依頼があった。「あとがき」など書いたことがなく逡巡したが、当初この論文集の執筆者に名を連ねながら、それを果たせなかったお詫びのしるしとして引き受けることとした。北田さんからは、「50年以上の長い年月を振り返って」ということだったので書き始めてみたが、これがなかなか難しく、あれもこれもとなると膨大なものとなる。結局ポイントごとにまとめてみたが、「あとがき」にふさわしいものとなっただろうか。

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